■豊島区の三弦師

Sadahiro Takahashi

高橋定裕

 

■三味線の歴史

三味線のルーツは大陸にあると言われています。しかしながらその起源が中国にあるのか、さらに西方のアジアにあるのかは定かではありません。古代エジプトにはすでに、3本の弦で弾く楽器があったといわれます。

日本へは中国から渡ったことは確かですが、どのようなルートを辿ったかについては、中国から直接、本州に渡ったとする説と琉球を経て渡ったとされる説とあるものの、570年前頃、中国の三絃が琉球に渡り、本州へ渡ったとされる文献が残っていることから、この説が有力と考えられています。本州のどこに渡ったかについては、薩摩・博多・堺とこれも諸説あり、堺説によると、琉球から渡った蛇の皮が張られたものが破れ、本州では入手が簡単でない蛇の皮の代わりに、様々なもので修理を試しているうちに、猫の皮が定着したとされています。

三味線は近年、といっても室町時代~江戸時代のことですが、他の和楽器に比べ、一番新しく成立した楽器です。三味線以前の楽器は、宮中や武士の間で好まれ、奏者も限定的なものでしたが、三味線は  江戸を中心として民衆の間で全国的に広まっていきます。17世紀に 流行した豊後節にいたっては、風紀を乱すとして幕府より禁止令が出されたりと、その隆盛ぶりが伺えます。人々を魅了する三味線の音は、わずか200年程の間に、各流派、種目があらわれ、それに伴って楽器そのものも進化し、江戸の終わりには現在と同じ形が完成されました。神田治光や石村近江といった三味線師の名匠も出現します。他の和楽器に比べ、様々な種目があるというのも三味線の大きな特徴です。

⬛︎三味線の音色の秘密

「噪音」とは、雑音と感じる音を音楽的美的効果を持つ音として表す場合に使います。三味線を撥で奏する際に、独特の噪音が響きます。面白いことに、糸を撥で下からスクウようにして奏する「スクウ」という撥奏法では、超音波が断続的に発生することが分かっています。

超音波は、人間の耳では聞き取れない音です。人間は一般的に20~20キロヘルツが可聴範囲といわれていますが、超音波は60キロヘルツ~8,90キロヘルツ。この超音波を耳で聴くことは難しいのですが、人体や心に作用することが報告されています。

「サワリ」とは、日本独自の糸の掛け方をいいます。図1をご覧ください。三味線の乳袋(ちぶくろ)の上部に上駒(かみごま)という1.5cm程の棒状のものがあります。この上駒には、二と三の糸だけが乗るようになっていて、一の糸は掛けません。一の糸は棹にわずかに溝を作って直に当てます。こうすることによって、弦が振動するたびに直接、その振動が棹に当たって、棹の上端と駒の間、サワリの山と棹の上端、サワリの山と駒の間の三か所の複合振動によって、三味線独特のビーンという音が発生します。この構造は、余韻に独特の噪音を加味し、引き延ばし、さらに可聴域の音だけでなく、超音波域の音にさえも変化を与えていることが科学的な実験でわかっています。つまり熟達した奏者であれば、微妙な手加減によって音が発生した後の余韻さえも操作することができる楽器であるということです。このサワリという仕組みは、江戸中期に始まったもので、中国や琉球、また江戸初期までの三弦には全く見られない特徴です。この独特の音色を「微妙に異なる複数の高音が集合して響きあう音色」と表現する研究者もいます。

私たちは水辺に行くとそのせせらぎを聞いて心穏やかになり、清々しさを感じることができます。これは自然界の音から超音波が発生しているためというのはよく知られることですが、かつての日本人は、現代に生きる私たちよりも、自然が近くにあり、毎日の生活の中で五感が常に研ぎ澄まされた状態であったことが想像できます。そんな彼らが、超音波を発生し、その余韻までも操作可能な三味線の音色に熱狂し、強く魅了されたと考えるのは不思議な事ではありません。

⬛︎複雑な性質

三味線という楽器がいかに複雑で日本独自のものであるか、その制作工程を知るとその必然性が分かります。動植物を材料とする三味線は、季節によってその制作方法が変化します。

自然の材料は、少しの温湿度の変化によって、脆弱さを増すこともあり、均一の楽器に仕上げるには大変熟練した技を要します。

棹に使われる紅木(こうき)は乾燥に弱く、胴に張る皮は湿気に弱いため、その性質をよく理解し、季節ごとの温湿度に合わせて空調を整え、さらに加工するときにはその材質の状態を触れた手に感じなければ、素材は活かされることなく、時には制作に至らずに壊れてしまうことさえあるのです。伝統工芸士である髙𣘺さんは、手の感触だけでもその材質の状態が分かる、皮は手に持った段階で張り具合が決まると仰います。

三味線の数え方は一挺、二挺と数えますが、三味線は一挺を制作するのに、基本的には分業制で制作されます。棹・糸巻・胴・金物と、それぞれのパーツを専門の職人が手掛け、髙𣘺さんのような三味線師の方がそれらを合わせ、皮を張り、一挺に仕上げます。

三味線職人に求められるのは、その三味線を弾く奏者の好みに合わせた音を作ることができることであり、その決め手は皮の張りにあるといわれます。しかしながら皮を張ることだけができればよい訳ではなく、全ての各パーツの制作ができ、その仕組みが分かっているからこそ、バランスの取れた三味線ができるのであって、三味線一挺全てを制作することができなければ、良い音色の名器を制作することはできないといいます。

西洋楽器と違い、古いからこそいい楽器ではなく、相対的に古い三味線は良い音色が出ず、だからといって新しい三味線が良い訳でもない。勿論、長年使うことで皮の張りもゆるくなれば名器も名器でなくなってしまいます。このように、三味線が同じように良い音を保つことは大変難しいことではあり、良い音色を奏でるには、三味線師も、奏者も熟練した技が必要です。しかしながら、そこにこだわりがあればこそ、他に類のないあの魅惑的な音を奏でることができるのです。

江戸に花開き、東京に根付いた三味線。かつての人々が持っていたこだわりを三味線師である髙𣘺さんは今も受け継ぎ、制作されています。髙𣘺さんのような職人の方々の力が、日本の文化・芸術を支えています。その力は無限ではありません。

三味線の、和楽器の、そして伝統芸能の未来を私たち一人一人が考えるべき時がきているのです。

〜庁舎まるごとミュージアム第七期解説より抜粋〜
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⬛︎皮張りの工程