東京手描友禅は、一人の職人が一貫して構図から仕上げまでを行っていることからも、一人親方の工房が多く、そうした親方の下で修業した弟子たちも、一人前になると独立して工房を立てるとして、戦後のベビーブーム世代が成人式を迎え、結婚する昭和50年代ごろまでは、豊島区·新宿区·中野区·練馬区を中心に都内に多くの工房があり、昭和54年には473社、そこに従事する職人も昭和59年のピーク時には、約1500人いたと記録には残っています。それが経年により、生活スタイルの変化に伴う洋装化スタイルの定着、また大量生産大量消費社会が進むにつれ、和装需要は減少の一途を辿り、平成16年には、102人にまで減少してしまいました。今もその減少に歯止めを掛けられていません。

豊島区においても、平成2年に区内伝統工芸実態調査によって、広く伝統工芸士の方々の調査を行い、平成5年に開催した第一回豊島区伝統工芸展の時には、23名の友禅師の方が参加されていました。同展を契機に発足した「豊島区伝統工芸保存会」には、平成31年まで6名の方が在席され、毎年秋に開催される「豊島区伝統工芸展」を始め、区民を対象とする友禅教室や区内小学校での教育活動、また大学との事業連携等、東京手描友禅の振興に大きく貢献しています。