提灯には欠かせない「ろうそく」のお話。

江戸時代、提灯の普及に欠かせなかった「ろうそく」。このろうそくの事を知らなければ、提灯という灯火器の良さを充分に理解したとは言えません。日本でのろうそくの発展を知れば、先人達の築いてきた技が、諸外国に比べていかに緻密で優れていたかが分かります。

古代、ろうそくは、「蜜ろうそく」から始まったと考えられています。すでに紀元前3世紀頃には、西洋や中国で製造されていたと考えられています。蜜ろうそくとは、ミツバチが巣を作る為に出す分泌液である「ロウ」を使ったものです。この蜜ろうそくが、奈良時代に仏教と共に、日本へ伝来します。少し後の時代になりますが、平安時代に描かれた『神護寺曼荼羅(じんごじまんだら…日本に現存する最古の曼荼羅)』や『兵範記』の挿図などには、すでに現在とほぼ変わらない形状のものが描かれているといいます。その後、遣唐使の廃止により、大陸からろうそくが入らなくなったことによって、松脂を原料とした国産品の製造が始められます。室町時代に入るとその製造は本格的になりますが、燃焼時間が短く、その用途は御所や寺院など、特別な場所に限られた大変貴重な物でした。

江戸時代に入り、ハゼの木(漆科)や漆の実を原料とした木ロウを作る技術が見いだされ、現代に伝わる「和ろうそく」の製造が始まります。それまでの明かりは、油を燃料とした燈明(とうみょう)が一般的で、光は弱く、途中で油を挿さねばならないなど、その扱いは手間が掛かるものでした。それに比べて和ろうそくは、安定した光を供給し、燃焼時間も職人の技によって格段に長くなったことから、その生産性を上げるために、幕府は各藩にハゼの木の栽培を奨励しました。その効果によって、和ろうそくの生産量は格段に増え、様々な用途に使用されるようになります。そして、持ち歩きに便利な提灯の発展に欠かせない道具となるのです。

明治時代になると、洋ろうそくが輸入されるようになります。主原料に、石油化合物パラフィンが用いられるようになると、安価な原料で大量生産が可能な洋ろうそくが、日本国内の主流となり、和ろうそくを製造する工房は、激減し、かつては数百件あった工房が、現在では全国に20件ほどになってしまいました。しかしながら、柔らかで独特の明かりを灯すことから、寺院や家庭の仏具としての用途は多く、今も江戸時代の製造方法を受け継ぎ製造されています。

和ろうそくが安価にできない理由の一つとして、植物を原料とし、機械化のできない技を多用し、一本一本手作業で製造されることがあげられます。この独特の伝統製法によって、和ろうそくは洋ろうそくの2~3倍の明るさを保ち、風が吹いても消えにくく、ロウ垂れもほとんどなく、油煙も極めて少ないといった優れた機能をもちます。

原料となる木ロウは、ハゼの木と漆を蒸したものを圧縮抽出して作られますが、この木ロウは適度な粘度で組織が緻密なため、ろうそくを形成する際に斑点や亀裂が生じにくいといいます。また植物性であるため油煙は少なく、匂い自体もほのかに香る程度に抑えられます。油煙が少ないからこそ、提灯が汚れることもなく快適に使うことができ、和ろうそくは提灯に最適な灯火なのです。

洋ろうそくが鋳型で固められて作られるのが一般的であるのに対し、和ろうそくは、灯芯に何度もロウを掛ける工程「生掛け(きがけ)」という独特の製法で作られます。

和ろうそくの制作は、この「生掛け」の工程で、職人がろうそくを持つ際の持ち手となる木や竹の串に和紙を巻き、灯芯となる部分を制作することから始まります。細い綿糸一本を灯芯とする洋ろうそくに比べて、和ろうそくの灯芯となる部分が太くなる理由がお分かりでしょう。

この時に使われる木串は大変重要なパーツで、ただ細い串であればいいという訳ではありません。細さは必要ではありますが、「生掛け」の工程で、何度も掛けられるロウの重みに耐えられる強さを持った串でなければならないのです。この工程に適した木串が無ければ、和ろうそくはできません。

しなやかな串の上に、灯芯となるイグサ科のその名も灯芯草を巻きます。これは畳を製造するイグサではなく和ろうそく用に栽培されている草です。繊維がスポンジ状になっていることが特徴で、そのお陰でロウが効率よく吸い上げられます。糸状の灯芯をぐるぐると巻き付けた後、さらに表面を真綿でくるんでやっとろうそくの芯が出来上がります。

さていよいよ灯芯にロウを塗り重ねていくのですが、その前に木ロウを練るという作業が入ります。木ロウの持つ粘り気を引き出し、なめらかなクリーム状に練り上げていくことで、ロウを美しく塗り重ねていくことが出来るようになります。温度調節をし、適度な粘度を保ちながら練り上げるにはかなりの労力が掛かります。練り上がったこのロウを一本一本塗り重ねては乾かす「生掛け」を繰り返して和ろうそくの形になっていくのです。
和ろうそくの特徴である美しい年輪の層は、バウムクーヘンのように薄いロウを数多く重ねていくことで形成されます。その際の木串のさばき方や浸し方、また回転させ方を微妙に変化させる技こそ、ロウ作りの肝となる部分です。
そして和ろうそく独特のくびれた形状を作り出すため、表面をカンナで削り、またロウを掛けるという工程を何度も繰り返して、ようやく和ろうそくは出来上がります。くびれた独特の形状も和ろうそくの優れた機能性を引き出す重要な形です。これは、炎を高い位置で長時間保たせる効果をもたらします。

ロウ掛けが完了したろうそくから木串を抜き、ろうそくの両端を切り落とし、火を灯す芯を切り出して完成です。切り出されたろうそくの端には、和ろうそくにしかない美しいロウの年輪が現われます。

以上のように和ろうそくは、型に流して作る洋ろうそくとは比べ物にならないくらいの手間を掛けて製造されていますが、出来上がったろうそくにはこれまた比べ物にならないくらいの優れた機能性があるのです。その優秀さは、現代の科学でも証明されています。

創業110年以上の伝統を持つ松井本和蝋燭工房(愛知県岡崎市)の三代目松井規有さんの 発案で、2008年名古屋大学エコトピア科学研究所の北川邦之教授と株式会社エフテクノの

の協同実験として、サーモグラフィを用いた和ろうそくと洋ろうそくの解析が行われました。

その実験の結果、大変興味深いことが分かりました。

デジタル照度計での測定では、和ろうそくは、洋ろうそくの2~3倍の明かりを持つのですが、サーモグラフィーで炎の温度を測ると、和ろうそくの方がわずかに低いという結果が出ました。
また洋ろうそくは、炎の中心部分が低温で外に向かって高温になっていくのに対し、和ろうそくは、炎自体が洋ろうそくより大きく、中心部分にも高温になる部分があることが分かりました。

この結果だけを見ると、温度が高い洋ろうそくの方が明るいことになるはずですが、和ろうそくは、炎が大きく、発光している体積が大きいため照度を保つことができ、さらに大きな炎はゆっくりと揺らめくため、見る人の心理に安ど感を与えるという効果をもたらすことも分かりました。

炎の中心部分にも高温が見られるのは、木串を抜いた際にできる中心の空洞の内側から空気が循環し供給されるからです。そのため炎がしっかりと立ち上がり、風が吹いても消えにくい炎が生まれます。

この和ろうそくの機能性は、すでに産業革命の後、工業の機械化が進んでいた西洋においても、科学者がその優秀さを認めています。

科学史上、最も影響を及ぼしたとされるイギリスの科学者マイケル・ファラデーが、子ども向けて開催した講演会『ロウソクの科学』を記録したものに、和ろうそくを称賛する箇所が出てきます。講演の行われた1860年は、日本では江戸時代末期。長崎を中心に西洋のものが徐々の持ち込まれる時代であり、その反対に長らく鎖国をしていた未知の国 日本のものが西洋にもたらされ、やがてはジャポニズムと呼ばれ、西洋文化に多大なる影響を及ぼす時代。 ファラデーの手元にあった和ろうそくも、来日した友人たちから、彼の科学研究のために贈られた貴重な品であったことが想像できます。

講義の中では、和ろうそくの素材である木ロウについても新しい素材、つまり西洋にはない素材として紹介されていますが、「呼吸とろうそくの燃焼の類似」をテーマにした第6講の冒頭で、和ろうそくの木串を抜くことでできる底から芯までが空洞という中空構造を称賛して 紹介する記録が残っています。

「和ろうそくは、外見の装飾性が美しいだけでなく、アルガンランプの構造と同じ中空構造を兼ね備えている」

アルガンランプとは、スイスの化学者アルガンによって1738年に発明されたランプです。炎の中心に空気が流れていくような通り道を作ることで、充分に新鮮な空気が供給されることで不完全燃焼を防ぎ、それまでのオイルランプに比べて、飛躍的に明るく、灯火時間も長いという進化を与えました。

極東の未開の地ともされていた日本に、このアルガンランプの発明よりも以前から、同じ構造を持たせたろうそくが生産されていたことは、当時、科学分野で最先端の研究者であった ファラデーにとって、それがいかに大きな驚きであったかが想像されます。

日本の伝統は、多くの先人たちが研究しつくし、改良を重ねて築き上げられた技術の粋であり、その高度な技を持つ人を匠と呼びます。伝統工芸を手に取り、その良さを知る人々によって、今も何とか伝統製法は守られています。

しかしながらこの和ろうそくも現在では、製造の基礎となる木串を作ることのできる職人は無く、先にご紹介した松井さんも先代から受け継がれた在庫を使っていて、数に限りがあるような状況です。和ろうそくの需要がさらに減少すれば、灯芯草も、油煙を出さない木ロウも、それを製造する人は益々減少し、やがては和ろうそくも、伝統の技も消失してしまうのです。

和ろうそくは、2016年伊勢志摩サミットにおいて、世界に誇るべき日本の伝統工芸として、各国の首脳150人の贈答品として採用されました。しかしながら、この和ろうそくも、国の認める伝統工芸として指定を受けていません。つまり国が支援する対象とは認められていないのです。この矛盾を皆さんはどうお考えになりますか?

〜庁舎まるごとミュージアム第九期解説より抜粋〜
**転載禁止**