■豊島区の江戸凧作家

加藤 秀吉

Hidekichi Kato

加藤 秀吉

 

江戸凧

凧の歴史を紐解くと、紀元前400年頃には中国で発祥していたといわれています。当時は敵との距離を測量する等、軍事目的で使用されていました。

日本への伝来は、平安時代中期に作られた辞書『和名類聚抄』に、凧に関する記述が登場します。そこでは「紙鳶」「紙老鳶(しろうし)」、すなわち紙で作った鳶と呼ばれています。それ以前に高句麗の僧によって、凧を制作するのに重要な紙の製法が伝来していますので、その時点で同時に入ってきたとも考えられます。しかしながら、凧を学術的、歴史的に研究されている例が少なく、実のところ、凧の古代史は未だ解明されていない部分が多いのです。

平安時代には、主に祭り事に使用される特別なものでした。戦国時代になると、中国の発祥と同じように、遠くからでも見えることから戦の道具として使用されるようになります。

現在のように、遊びの道具として、広く一般にも使われるようになったのは、戦乱の世が過ぎ去った江戸時代に入ってからのことでした。江戸の初期には、戦の無い世の中で、武士の軟弱を防ぐための鍛錬として、武家屋敷の内庭で揚げられていましたが、やがて大空高く揚がる凧は江戸の町人の間でも盛んになります。その盛況振りは、浮世絵にも描かれていますが、揚げた凧が武家屋敷の屋根に落ち損傷させたために修復をしなければならない事態が多く発生し、幕府は、何度か「凧揚げ禁止令」を発布しなければいけなかったことからも、想像できます。

江戸文化が花開くころには、武者絵で成功を収めた浮世絵師 歌川国芳が凧絵を描き始めます。また店の屋号を記した文字だけで図柄が構成された字凧を揚げることによって、大きな宣伝効果がある看板のような役目で使用されるようになります。そのような中、日本全国各地で、それぞれ特徴のある凧が出現します。

江戸凧の特徴としては、主に緻密な武者絵や歌舞伎絵が描かれる角凧や大振な文字が描かれた字凧、また武家屋敷の下僕であった奴を凧にして、高々と武家屋敷の上に飛ばし見下ろすといった江戸町人の粋な洒落が効いた奴凧などがあげられます。

凧の制作は、礬水引き(どうさびき=滲み止め)された美濃和紙を使用し、図案を描くことから始まります。まずは鉛筆で薄く下書き、その上を墨で輪郭線を細く、また太くなぞり、  染料を黄・桃・赤・青・紫・橙の順に濃淡を付けて載せていきます。最後に再び墨で線の仕上げを行います。ここまでの行程で、墨や染料が乾くのに時間が掛かります。しっかり乾燥し、色が定着した後、竹ひごで骨組みを作り、そこに仕上げた図柄を貼り、凧糸を付けて完成です。

制作は、凧の大きさにもよりますが、一つに対して10日から半月掛かることもあります。特に鎧武者の鎧を一つ一つ描くのは根気のいる仕事ですが、それは緻密で繊細な江戸凧の特徴でもあります。

〜庁舎まるごとミュージアム第五期解説より抜粋〜
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